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ましろい肌に痛々しく縄を食い込ませた子どもが、ほたりほたりと涙を零す。
けれど、跪いて目を伏せた顔はうっとりと夢見るような恍惚を湛え、舌足らずに苦痛を訴える声からは隠しきれぬ愉悦の色が滲む。
だらしなく半開きになった唇の中からちろりと覗く赤い舌がとてもとてつもなく瑞々しく甘い、熟れた果実のように見えて、膨れ上がった欲に任せて子どもの前髪を鷲掴む。
上がる悲鳴。ああなんて甘ったるく浅ましい声だろう、聞くに堪えない。いたいいたいと泣きながらおぞましい悦びに瞳をきらめかせている。なんていやらしい子どもだろう。いいや、これは魔物だ。人を惑わし堕落させる夢魔だ。
そうだ、そうでなければ───あんな仕打ちをした男に愛など告げられるものか。
乱暴に上向けた顔へと覆い被さり、誘うように突き出された舌に容赦なく噛みつく。
悲鳴の合間に、もっと、と強請る囁きを確かに耳にして、嗤う。ほらやはりそうじゃあないか。幼く淫らな魔物の求めに応えながら、目眩がする程の背徳と興奮に背筋を震わせ───
……という夢から覚めた後に自らの唾液でべとべとになった指を無言で口から引っこ抜いてしばし寝台の上で悶絶していた朝の、もうなんだか今すぐ死にたいとしか言いようのない気持ちをうっかり思い起こしてしまい、タナッセは密かに深く落ち込んだ。
実際に取り掛かってみると人の両手首を縛りつけるという作業はなかなか難儀だ。いつしか掌をじっとり湿らせていた手汗も少なからぬ妨げとなっている。モルを呼ぼうかと一瞬考え、すぐに打ち消した。なんというか、流石に限度がある気がしたので。
長椅子に座り、罪を認めた咎人よろしく手首を合わせて差し出した子どもと、その手の自由を奪おうと苦心しているタナッセの姿は、傍から見れば現在この城で最も滑稽な光景かもしれない。そんな二人の間に言葉はなかった。タナッセは自然と目の前の作業に集中していったし、子どもも以前自分を縛めたのがタナッセではないことは察しているのだろう、お世辞にも良いとは言えない手際について特に文句を言うでもなしに大人しく待ち続けている。
「……………………」
自分がこのような行為に対して快感を覚えるなど、神に誓ってあり得ないとは信じている。だが。だがしかし。
あらぬ幻が脳裏をちらつく。
もし、もしもだ。この子どもが本人の───そして、実のところタナッセ自身抱かずにはいられなかった危惧の通りの、特殊な嗜好の持ち主であったなら。万が一にも、被虐を悦ぶような素振りを見せたなら。
あの狂った悪夢が、僅かにでも現実味を帯びてしまったなら。
想像がつかない。否、恐ろしくて想像すらできない。もしもそのような状況に置かれたら、自分がどうなってしまうのか、など。
だから、子どもの顔を見ることができない。
視線は自然と、ようやく不格好な結び目を完成させようとしている己の指先へと固定されて───
「この歯型どうしたの?」
そしてその指先まで瞬時に引っ込める羽目になった。
「ななななな何のことだ歯形とは!」
「いや、君の指についてる奴……。なんで隠すのさ」
「か、隠してなどいない!」
タナッセの冷や汗を伝わせた顔と咄嗟に握り込んだ拳とを交互に見やり、子どもは不審げな表情を浮かべた。こうなるといつまでもこのままでいる訳にもいかず、観念してのろのろ指を開く。
「やっぱり、ついてるじゃないか。歯形」
「っ、こ、これは……犬、犬だ! 犬に噛まれたんだ! ど、どうでもいいだろうがこんなもの。いつまでもじろじろと見るな!」
うっすらと痕が残る指を見ようと身を乗り出してきた子どもに、何とか捻り出した言い訳を怒鳴り散らす。
───お前を汚す夢で寝惚けてお前の舌のつもりで舐め回している内に自分でつけた歯形だ、という真実は口が裂けても言えない。言えるわけがない。できれば自分の記憶からも抹消したい。
子どもはぱちぱちっと瞬いた。
「タナッセ。君、犬小屋見に行ったりしてるの?」
心底意外そうに問われた。妥当な疑問だ。称賛してやる気にはなれないが。
「……散策の途中で偶然出くわしただけだ。そんなことより───ほら。お望み通り縛ってやったぞ」
離してしまった縄の端を引っ張り、どうにか結び目を固定した。幸いにも子どもの興味もそちらへと移り、妙に生真面目な様子で括られた手首を持ち上げて眺め、縛めに抗うように軽く動かしたりしだす。
「───うん。ちょっと緩いけど縛られてる。あとは……」
子どもは淡々と呟いた。一時的に自由を奪われた自身の手をじっと見つめる。
「……う、ん……あー……えと」
何やら思案顔で瞑目し、唸ったりかぶりを振ったりと落ち着きなく時を消費してから、何を思ったか子どもはタナッセの側にふらりと上半身を傾け、体ごと体重をかけるように胸に頭を預けてきた。
「……っ! な、何だいきなり」
唐突すぎる接触に心臓が盛大に跳ねる。倒れ込んできた小さな肩を慌てて受け止めたタナッセの耳に、いじけて拗ねた声が滑り込んだ。
「全然楽しくない」
「……まあ、それが普通だ」
ほんのり複雑な気分で答える。
子どもはタナッセの腕の中で不自由そうに身じろぎした。もう解こうかと問うても無言で首を横に振られる。ぼふ、と額がタナッセの胸に押しつけられた。
顔を見せない密着。黙り込んだ子どもが気懸かりだったり速さと激しさを増した鼓動に気づかれやしないかと気が気ではなかったりとひどく落ち着かない心地で子どもの旋毛を見下ろす。
「……ひとりじゃ楽しくない。でも、君とこうやってくっついてると、なんか、変な気持ちになる。痛いこと、は……たぶん、嫌だけど……」
おもむろにそんな事を言ったかと思うとまた黙り込む。こいつには本気で危機感が欠けていると思った。
「───結局何がしたいんだ、お前は」
返答次第では開けてはいけない扉を開いてしまうのではないかという不安に(あるいは期待に)慄きながら、そう訊いてしまう。
「聞いても引かない?」
「今更だろう」
「はは、そうだね。じゃあ正直に言う。……こうしてるの、好きだよ。絶対解いてもらえるって分かってるから」
発言の意味を掴みかねて眉をひそめるタナッセに、子どもは一言一言自らの言葉を確認するように囁いた。
「タナッセは、僕が本気で嫌がればやめてくれるよね。縄で縛っても解いてくれるよね。それ、分かってるから。悲鳴を上げても無駄じゃないって思えるから……嬉しい」
胸を衝かれた。
不意に脳裏をよぎったのは母と従弟の姿。誰よりも近しく、故に泣きたくなるほど遠い、家族。
彼らは悲鳴など上げない。少なくともタナッセの前では、決して。今ではヴァイルすらも。───その理由もよく分かっている。自分には彼らの悲鳴を、痛みを受け止める力などないからだ。
何もできず為そうともせず、いつだってただ無力に立ち尽くしてすぐ傍で傍観するだけ。タナッセが彼らにできることは、許されたのは、ただそれだけだった。どうしようもないことだと思っていた。
───己が犯した最大の過ちたる、あの儀式の時。
今より遥かに強固な縛めに囚われた子どもは、状況を把握すると早々に口を閉ざし、タナッセからも目を背けた。それは、口から先に生まれてきたかの如き日頃の小憎らしさからすれば拍子抜けな諦めの態度で。
そう。あの時、確かにタナッセはそんな子どもに憤った。ひどく筋違いな怒りを抱いた。出会った時から一度として逸らされたことのない眼差しが、最早視界に入れる価値もないとでも言うように逸らされ、恐らくこの先二度と向けられることはないだろうと悟った瞬間に。
お前もまた、私を拒絶するのか。存在を締め出し、背を向けるのか。───そんな、手前勝手な、どこにも行き場のない慟哭を。
あの時本当に欲したもの。失いたくないと餓えるように希ったのは、何だったか。
「お前は……本当に馬鹿だな。救い難い。私を英雄譚の主人公か聖人とでも勘違いしているのではないか? こんな男にそんな期待を寄せるなど、愚かにも程があるというものだ」
何故この声は掠れているのだろう。
何故この腕は一層強く子どもの肩を抱いているのだろう。
何故───自分は今、こんなにも嬉しい。
「そこはせめて信頼って言おうよ」
「お前の信頼は些か歪んでいる気がしてならん」
「そうかもしれないな」
子どもが俯かせていた顔をゆるゆると上げる。薄紅に染まった目元にまた不穏当な妄想が蘇りそうになって自制した。
「ねえタナッセ。僕、本当はずっと誰かに僕の痛みを否定して欲しかったのかもしれない。たとえそれがどんなに正しい痛みでも」
どこか泣いているような奇妙に儚い笑顔で、縛められたままの手首を差し出された。
「縄、ちょっと擦れて痛い。……痛いのは嫌だけど、君に痛いって言うのは何だかすごく嬉しいんだ。やっぱり僕、変かなぁ?」
「…………っ」
言葉が出ない、などという事態は久しぶりだ。普段あれだけ研鑽を重ねている修辞が欠片も頭に浮かんでこない。
───訂正、しなければならない。
タナッセは、無性に子どもの悲鳴が聞きたくなった。痛みに歪む顔を見たいと思った。
虐げるためではなく、守るために。救い、庇い、必要とされるために。……本当はずっと。子どもと出会う前から、ずっと。
「まったく……救い難い」
辛うじてそれだけ吐き捨て、先刻と同じように手を伸ばす。
縛るのにはあんなに苦労したのに解くとなると随分簡単に終わった。縛めから解放された子どもの手首には薄く縄目と擦れ痕が残っている。
そこに、迷わず唇を寄せた。
「……、っ……ぅあ、」
切なげに洩れる声。昂揚する自分を呪おうとはもう思わなかった。今はすぐ傍に同類がいる。
力を入れれば折れそうな手首についた浅い擦過傷に舌を這わせながら、夢と現実との境界の一部が崩れ去る音を確かに聞いた。
子どもの肌は、不思議と夢よりも甘かった。
───求めるものは、真逆で同じ。
より歪んでいるのはどちらだろう。
どちらにしても、自分達は案外似合いの組み合わせではないだろうか。初めて心の底からそう思った。
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最大羞恥プレイポイント:一番力入れたのは冒頭文。